転写印刷の起源
デカール(転写印刷)は元々デカールコマニー(デカルコマニー)(仏:décalcomanie)と呼ばれ、彫刻や装飾を磁器などの立体物に転写する為開発された技術です。
その起源には各地域において様々な説がありますが、主だったものとしては1740年代、イタリアのドッチャ陶磁器工場において最初の転写印刷が行われた形跡があり、ほぼ同時期に欧州の陶器生産の中心地だったイギリスのバーミンガムでも複数の彫刻家や印刷業者によって研究が進められていたとみられます。それ以前は陶磁器の絵付紋様の複製には彫刻された銅版を使用して転写する印刷が主流であり、金属をはじめガラス、陶器など、様々な工芸品の製作に利用されていました。
彫刻との関係
初期の転写印刷の開発者とされる人物のほとんどは彫刻家であり、当時製陶業のデザインの型紙の作成において彫刻家が重要な役割を担っていたことは紛れもない事実です。
転写印刷に関する最も古い記録は、ロンドンで働いていたフランス人の彫刻家、シモン・フランソワ・ラヴェネが陶磁器への転写印刷プロセスの研究を行っていたというもので、彼はロンドンの芸術家コミュニティにも参加しており、そこでの議論が転写印刷の礎となった可能性が指摘されています。
エナメル印刷
最初に転写印刷の特許を申請した人物はバーミンガム在住のアイルランド人、ジョン・ブルックスでした。
彼の開発した手法は一度エナメルへ印刷した装飾を陶器に反転印刷させるパッド印刷というものでしたが、1751年の彼の申請は失敗に終わります。彼はロンドンのバタシーに移り、そこでエナメル印刷に携わりました。 エナメル印刷は1753年には実施されていたと見られ、1756年頃にはいくつかのボウ磁器に使用されていましたが、エナメルは熱に弱く、高温で焼き付けた場合に画像がぼやけてしまう特性がありました。開発初期の色は紫または茶がかった黒やオレンジ色でしたが、 1760年代には白地に青色の転写プリントが主流となっていきました。
タイルへの印刷
1756年、リバプールのジョン・サドラーは、ガイ・グリーンと共に7年前にデルフトタイル(16世紀オランダ発祥の陶器)への印刷プロセスを完成させていたと主張しました。彼らは陶器や磁器への色絵印刷を成功させていました。
ロイヤルウースター、ウェッジウッド
1750年代、ウースター磁器工場(ロイヤルウースター)での転写印刷は彫刻家のロバート・ハンコックによって研究され、青色の釉下絵に黒の色絵の比較的複雑な形状の印刷にも成功しています。
転写印刷のプロセスはこのように各地で多くの人々により様々な手法が試行錯誤されながら構築されていきました。 のちに世界的な陶磁器メーカーとなるウェッジウッドの創業者、ジョサイア・ウェッジウッドもその中のひとりでした。
ポタリーティッシュ
陶磁器に模様を印刷するために不可欠だったのが転写用のデザインを印刷するための用紙でした。
当時転写用紙として「ポタリー・ティッシュ」と呼ばれる紙が使用されていました。曲面の陶器への転写には紙自体にある程度の強度と吸水性、印刷性能が必要とされるため、木材パルプでなく麻などの比較的頑丈な繊維を原料とする紙が使用されていました。
当時の転写法は、まずこの用紙の表面をロジンとミョウバンでコーティングし、その上に銅板を用いた印刷によってインクを定着させます。その後素焼きした陶器に用紙を貼り付け、分離材として石鹸を塗って紙の上から刷毛で圧着させます。紙の部分を洗い流すことでデザインのみが対象物に残るという方式でした。
デザインを対象物に綺麗に転写するためにはまずそのデザインを転写する平滑な紙が必要でしたが、当時まだ手作業に頼っていた部分も大きかった製紙業の機械化が進んだことで印刷に適した均質な紙の製造が可能になりました。
イギリスが製陶業の中心地であったこと、産業革命によって産業の近代化が大きく進んだこと、優秀な技術者が集まることで当時としては素早く情報共有がなされたことなど、いくつかの偶然が作用して転写印刷技術の基礎が築かれていったのです。
拡散と応用
転写印刷は陶磁器の工業的生産の普及と共にスウェーデン、ドイツ、フランス、北アメリカなど各地に広がっていきました。 18世紀には欧州を起点とした産業革命による技術移転に伴い、各国の近代化が急速に進んでいきます。
蒸気機関を使用した船舶や列車など、移動手段の発達によって国を跨いだ貿易がますます盛んになるにつれ、大量に発生する工業製品の需要が転写印刷の供給を呼び起こします。
当時第二次産業革命によって欧州の工業大国となりつつあったドイツにおけるミシンや時計などの鉄製の工業製品をはじめとして、そのデザインの転写用途として転写印刷はその特性から工業的な大量生産品のエンブレムや細かな装飾にも応用されるようになりました。
蒸気機関を使用した印刷機の普及とともに18世紀中頃から19世紀にかけて欧米各地で印刷産業としてのデカール製造業が確立されていくこととなったのです。
参考文献
・Transfer printing on Pottery:John Hodgkin:The Burlington Magazine for Connoisseurs Vol.6,No.21
・Transfer printing and its paper in English manufactories (1780-1830):Sarah Richards: https://books.openedition.org/pumi/40913
・Industrial Transfers and the Art of Decalcomania:Anna Adamek: https://ingeniumcanada.org/channel/articles/industrial-transfers-and-the-art-of-decalcomania-collection-profile